2013年7月8日月曜日

アンソロジー的・澁澤龍彦と野中ユリ氏についての覚え書き


野中ユリ展 -美しい本とともに-
2013/6/8(土)- 9/1(日)
神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
平成24年度、作家野中ユリ氏本人より、同館へ寄贈された作品および装丁本を含む120点の大規模な展覧会。

【野中ユリ】 1938年 東京生まれ 母:画家 野中曜子
銅版画、コラージュ、デカルコマニー、造形、挿画・装幀、舞台美術・デザイン

■この覚え書きについて
野中ユリ氏の作品の多くが発表された60年代〜80年代、当時の澁澤を中心としたサロンとも言える『北鎌倉』に屯する面々は、名を挙げれば、瀧口修造(美術家・画家)、巖谷國士(フランス文学)、加藤 郁乎(詩人)、加納光於(版画家)、土方巽(舞踏家)、池田満寿夫(芸術家)、富岡多恵子(詩人)、白石かずこ(詩人)と、今や錚々たるものだ。彼等の回顧に暫しつきあえば、必ずや名前が挙がる面子の中に野中ユリがいる。骸となった澁澤が北鎌倉の自宅に戻った際、それを向かえた中にやはり彼女の名がある。

■『純白のプラトニズム 野中ユリについて』
初出『現代作家論・野中ユリ——純白のプラトニズム』「美術手帖」1965年6月号
再録『澁澤龍彦集成』Ⅳ
  『澁澤龍彦全集』7
野中ユリ作品図版3点掲載

言及される野中氏の作品
「口の中の薔薇(1964)」
デカルコマニー(1964)青のシリーズ他、黒、紫のシリーズ
「白い目測」「燃える掟」

文末にの詩句を引用している。瀧口修造の野中ユリとの私家版詩画集『星は人の指ほどの——』つまり、野中ユリのために制作された画集のための書き下ろし。
愛すべきおんなの芸術家に心奪われるかの直接的な詩句は、他に代えがたい讃辞を呈する。

足跡がこんなに澄んでいるとき(この文節は引用無し)
おんなの詩人よ
あなたが生命のこちらから
粋を吹きかけている枯草のしたでわたしは耳を傾けていたい
火の波音に。
       「星は人の指ほどの—野中ユリに」瀧口修造


■『兄の力』野中ユリ(1988/4)
別冊幻想文学 澁澤龍彦スペシャル 
Ⅰシブサワ/クロニクル(1988/11)/表紙:野中ユリ

1959年 初個展「銅版画」(銀座 ひろし画廊)
瀧口修造(1903-1979)「銅版画展(タケミヤ画廊)」第3回(1957)、第5回(1989年)出品
1959年『サド復活 自由と反抗思想の先駆者』澁澤龍彦著・加納光於装幀 弘文堂
    印刷レイアウト、書名タイトル書き文字:野中曜子
1965年 デカルコマニーによる個展(ルミナ画廊)
    私家版詩画集『星は人の指ほどの—』瀧口修造詩 野中ユリ画 
    限定250部 12頁 個展案内状として制作
1980年9月 『野中ユリ画集 妖精たちの森』文:澁澤龍彦 講談社 63頁
     (1995年9月平凡社復刻/62頁)

1987年6月 「レダの会」土方巽主宰/種(台本)・矢川澄子/姿(舞踊)元藤燁子/飾(装置)野中ユリ

1966年 『狂王』渋澤龍彦 挿絵コラージュ:野中ユリ、装幀:佐々木桔梗、 プレス・ビブリオマーヌ
限定275部中、A版175部 インド産純白仔山羊革装・タイトル金箔押 越前産特漉き局紙(耳付・三方金装)狂王のラテン語訳「レックス・デメンス」透かし(B版100部:局紙装)帙付 保護函青布装 
稀覯書。澁澤の装幀へのこだわりをもとに、プレス・ビブリオマーヌ佐々木桔梗が装幀。A版は現在7〜8万円前後で神保町などで取引されている。おそらく全書、著者(青インク)と画家(鉛筆書)の書名入り。

1970年『澁澤龍彦集成』全7巻 B6版 函 装丁:野中ユリ、桃源社
    バックラム装 奥付エンブレムTasso.S.:図案起し加納光於
 第1巻 : 手帖シリーズ篇    第2巻 : サド文学関係篇
 第3巻 : エロティシズム研究篇 第4巻 : 美術評論篇
 第5巻 : 翻訳・創作・評伝篇  第6巻 : 翻訳篇
 第7巻 : 文明論・芸術論篇

1987〜88年『新編ビブリオテカ 』全10巻 白水社 B6判 函 装丁:野中ユリ
慈恵医大入院中に野中ユリと装丁打ち合わせを行っている。臙脂に金箔押アラベスク柄
 玩物草紙   ドラコニア綺譚集   唐草物語
 狐のだんぶくろ 解説:出口裕弘   偏愛的作家論  解説:野口武彦  
 幻想博物誌   解説:奥本大三郎  胡桃の中の世界 解説:中野美代子
 城と牢獄    解説:巖谷國士   魔法のランプ  解説:多田智満子
 思考の紋章学  解説:種村季弘

1980年9月『妖精たちの森』野中ユリ画集 文:澁澤龍彦 63頁 講談社
澁澤龍彦による新稿及び、旧著からの抄出及び加筆。
旧著抄出については、野中ユリ氏が澁澤の旧著より選出し、それらを澁澤自身が野中氏の掲載作品に併せて、部分抄出及び加筆した。
以下、『澁澤龍彦全集』17巻 河出書房新社(1994)巻末、巖谷國士による解題より。

・妖精について(書き下ろし) /作品名「妖精たちの森・Ⅰ、Ⅱ」 
・火の精サラマンドラ     /作品名「妖精たちの森・Ⅲ」 
  『幻想博物誌』所収「火鼠とサラマンドラ」の一部及、
  『記憶の遠近法』所収「サラマンドラよ、燃えよ」一部及び加筆
・土の精グノーム
  『幻想博物誌』所収「グノーム」
・水の精ウンディーネ     
  『幻想の肖像』所収 「キューレボルンがウンディーネを漁師のところへつれてくる  ハインリヒ・フュスリ」より抄出及び文尾へ加筆。
・風について(書き下ろし) /作品名「妖精たちの森・Ⅹ」
・植物のメタモルフォーシス /デカルコマニー 「青い花シリーズ」5点
  『澁澤龍彦集成』第Ⅶ巻所収「メタモルフォーシス考」
・絵のある石  /作品名「青い花」(部分)、「須弥山伝説」、「魚石伝説」2点は澁澤の著作に合わせた新作
  『胡桃の中の世界』所収「石の夢」抄出及、冒頭に加筆
・石の伝説  
  『胡桃の中の世界』所収「石の夢」抄出
・魚石 
  『胡桃の中の世界』所収「石の夢」抄出冒頭加筆 
・フローラ幻想  /作品名「ジオットの家Ⅲ・Ⅰ・Ⅱ」
  『ヨーロッパの乳房』所収「フローラ幻想」より抄出
・宇宙卵  /作品名「パルミジャニーノの部屋」「黄金の花」(夢の地表シリーズより)
  『胡桃の中の世界』所収「宇宙卵について」抄出及、引用加筆『リグ・ヴェーダ賛歌』辻直四郎訳(ヒラニア・ガルバ(黄金の胎児)の歌
 
 1995年9月 平凡社より復刊

■『天使について』
  『夢の宇宙誌 コスモグラフィア・ファンタスティカ』1964年6月 美術出版 A5版変形 所収「白夜評論」(現代思潮社[)1962年6月〜12月連載『エロティシズム断章』を元原稿とし加筆修正し構成。121点余りの図版を著者が選出し、キャプションを付けている。
  再録『澁澤龍彦集成Ⅳ』桃源社1970年8月

『天使について』は、12月号(ルネサンス・アラベスク)にて発表、加筆。
当初、野中ユリのコラージュ作品(1963)と併せた個別の出版を計画していたが、印刷技術が発色などの再現性に足らず、中断。

■オマージュ澁澤龍彦『澁澤さんのまなざしを乞うために』野中ユリ
 「澁澤龍彦をもとめて」1994年6月 美術出版社 『季刊みずゑ』1987年冬号 特集<追悼澁澤龍彦>へ巖谷國士エッセイを増稿。
 1979年作の未発表のコラージュ作品 連作『夢の地表—№6エメラルドの水門』を公開

■結び
澁澤は、野中ユリを純白の異形の天使になぞらえた。
あるいは憑子のごとく澁澤が求めるモノを”素直に”はき出してくれる才能を持った彼女を傍らに置き、また彼女自身もその身が次々に感応する、大きくうねる波や隆起してくる世界を思いがけず背を突かれるように引き出してくれる、マスター的存在地位を澁澤に託していたのではないだろうか。その関係が、澁澤が演じていたエロチシズムの世界から想起させるものでも、一向に差し支えないかもしれない。

かねてから私は、澁澤は鎌倉に殺されたと思っていた。1982年8月末に喉の不調を認識し、現存する大船中央病院へ行っている。それから1986年9月始め、慈恵医大病院で悪性の診断を受けるまで丸4年間、鎌倉市内の病院やクリニックでセカンドオピニオンと共に転々と治療を受けていた。にも関わらず、慢性の気管支炎だの、ポリープだの、挙げ句には小町のクリニックでポリープ摘出手術まで受けている。
死のにおいを嗅ぎつけるまで、鎌倉は澁澤をその結界の中に閉じ込めるように縛り付けていたのだと思う。

早生とまでは言えなくも、その死が惜しまれる作家、とその頂にある脳みそは、中途半端な時代に取り残された私たちの歪んだ厳格化を受け、別珍の玉座に少し大仰に足を組むゴブリンの王にさえなっている。

■参考
レオノール・フィニ(Leonor Fini 1907〜1996)画家 イタリア系アルゼンチン人
プレスビブリオマーヌ(1922~2007) 佐々木桔梗 
マックス・エルンスト(Max Ernst 1891〜197)シュルレアリスム画家・彫刻家 ドイツ人
モンス・デジデリオ(Monsù Desiderio)バロック期
  画家フランソワ・ド・ノメ(François de Nomé, 1593年 - 1620年以降)及ディディエ・バラ(Didier Barra)による共作品と考えられる。
ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Secundus 23年〜79年)古代ローマ博物学者 『プリニウスの博物誌』Ⅰ〜Ⅲ 中野定雄他訳 雄山閣 1986(澁澤蔵書)

2013年6月26日水曜日

生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて③


壁面大展示ケースへうつれば、「ああ、これは・・・」と感慨にはいる瀑布。

瀑布 1909年頃  絹本彩色  玉堂美術館所蔵

應挙の血脈を受けた、潔く直下する滝の流れが美しい。
しばしそこで、滝に打たれる。


紅白梅  1919年  紙本金地・彩色  玉堂美術館所蔵

MOA 光琳の紅白梅図屏風を踏まえた琳派調。
土はの表現が無いのを同じく、こちらは流水さえない。
それなのに、紅梅はふっくらかわいらしく、幹の小鳥のくすぐったい様な動きをする。
金屏風の中に生命感があふれているのを、してやったりの気分で眺めた。
近代日本画が玉堂の手で熟されたんだ。



50代後半から60代。そこにあるのは、これまでのものを消化し尽くし、玉堂の筆にした世界が完成している。もうここからはスピードを上げていくだけ。
日本の静かな自然とそこにある人の営み。小さく書き込まれた人物の生命力が足取りの描写に表れている。

湖村春晴  1935(昭和 10)年 絹本彩色
秋山帰樵  1935(昭和 10)年 絹本彩色
秋晴    1935(昭和 10)年頃 絹本彩色
冬嶺松秀  1936(昭和 11)年 絹本彩色
渡所春暁  1938(昭和 13)年頃 絹本彩色
烟雨  1941(昭和 16)年頃 絹本彩色 山種美術館所蔵


雪亭買魚  1938(昭和 13)年頃 絹本彩色
鵜飼    1939(昭和 14)年頃 絹本彩色
春風春水  1940(昭和 15)年 絹本彩色   以上、山種美術館所蔵



滝壺へ落ちていく目線のスピード感があおられる。
急斜面を駆け下りそうな松の勢いは永徳を思い出させる。

松間飛瀑 1942(昭和 17)年頃 絹本・彩色 山種美術館所蔵


残照    1952(昭和 27)年 絹本彩色 山種美術館所蔵
こういう西日、あるな。素直にノスタルジアだ。
友達と遊んでて17時になると町内で鳴らす『七つの子』を聞きながら、この夕日の色を背景に見ていた。「また明日学校だ。。。」


最後に胸を沸かせたのが、三越呉服店美術部の「現代諸家春掛展」の出品作品、
三幅の合作。松を大観が、竹を玉堂が、梅を栖鳳が。
な、なんて贅沢。



ここまでの集中力の果てに、目の前の三幅の存在は、神曲であれば最高のフィナーレ。
一緒に脱皮した気分だ。目頭が熱い。

松 横山 大観
竹 川合 玉堂
 梅 竹内 栖鳳  
1934(昭和 9)年 絹本彩色 山種美術館所蔵


後期入れ替えで待ちに待った小松内府に会える♪
重盛の心中が痛々しいほど見て取れる一枚。
この絵と、また濃厚な二人の時間を味わいたい。

小松内府図   1899年  絹本彩色  東京国立近代美術館 
後期展示:7/9~8/4


気がつけばくたくたの体に、山種美術館名物のオリジナル練り切りをいただく。
身にも心にも沁みる。。。
毎回の特別展に併せた限定のお菓子を楽しめるのが、粋なところ。
これも今回のご説明で、毎回いくつものボツ案を出されているくらいに力を入れてらっしゃるのを知り、山種美術館の美意識の高さに感動。かっこいいです。




私は《早乙女》を主題にした「さおとめ」をいただく。
ほんとにかわいらしくて美味しく楽しくいただきました。


次回の速水 御舟展では、是非、《炎舞》の妖艶な炎と”夜の蝶”での練り切りを楽しみにしております。

再興院展100年記念 速水御舟 ―日本美術院の精鋭たち
2013年8月10日(土)~10月14日(月・祝)






2013/06/22(土)
生誕140年記念 川合玉堂 ―日本のふるさと・日本のこころ―
2013年/06/08(土)~08/04(日)
山種美術館


                           fin

生誕140年記念 川合玉堂展 6/22ブロガー内覧会にて①
生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて②





生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて②


玉堂に引かれる理由はわかっている。
過去にハマった画師達の血脈がそれらの絵から慟哭のようにじわじわと放出されてくる。
應挙の優しさと力強さを併せ持った写実性、狩野派の伝統と芳崖、雅邦が立たされていた近代の混沌。日本画の歴史を学ぶ上で、出会いの度に新たな鑑賞の目を養ってくれた重要な画師達だ。
まーったく心地よいったらない。”確かに玉堂の筆なのに” だからだ。

展示はキャプションに制作年代と完成時の年齢が記載されているのが嬉しい。
単に画風の変遷ということではなくて、 画家が何をどう吸収して、作品としてアウトプットしたかが、なるほどドラマチックにこちらに入ってくる。

ウェルカムボード的に最初の一枚、
鵜飼 1895 絹本彩色   
展示場所がイマイチ落ち着かなくて、自分で見に行った時はゆっくり見られなかったが、今回はじっくりお一人様。
25歳が描き上げた大掛幅。この落ち着きはなんなんだ。

一つ目ののぞきケースに並べられた小品群
 写生画巻・写生帖 1888〜紙本彩色


画巻は15歳から始まっている。驕りのない丁寧な筆は洗練されてて、部分的な拙さも柔らかさに変わる。年を重ねるとともに的確な筆の運びが感じ取れるようになってくけど、がつがつ食い入るように書き込んでいる様子は無くて。人柄がでるのかな。

のぞきケースの一番奥に、仕事で台湾(だったかな)に居る娘婿へ宛てた手紙がある。


無事に孫が生まれたことを伝える手紙には、写真を送るべくも、当時現像には時間がかかった為、実際の愛らしさは伝えきれないが、取り急ぎ写生にて送る旨が。
日々成長し健康な様子、生まれたての我が子の様子を遠く離れる父親へつぶさに伝えたい気持ちがつづられている。温和で優しい人柄がよくわかる一点だった。

 こうやって、玉堂の人柄に惚れさせて、そうしてぐいぐいと展示は本題に入っていく。
真っ先に釘付けにされるは、この二枚だ。

 
渓山秋趣  1906(明治 39)年(33歳)  絹本彩色  山種美術館所蔵

既に雅邦門下で10年以上ということになる。
懐かしい人に会ったかのような気持ちにさせる、背後にそびえる山肌。
生き物のような木々。
それでも雅邦の筆を踏襲したものではなく、フレッシュな近代日本画がそこにある。

ああ、つまり、初恋の人の忘れ形見に町でばったりあってしまった、おばあちゃんの感覚だ。まいった。

 二日月  1907(明治 40)年(34歳) 絹本墨画淡彩  東京国立近代美術館

新月にほど近い二日月。
薄笑いの月と淡い視界。
本来、夕刻の上空の青と夕焼けの赤を輸入科学顔料を使用したが、じきに退色してしまったと作品解説にある。
それでも、明るさを持ち始める月と朦朧になりゆく湿り気を帯びた空気が、
風景の奥深くまで広がりをみせ、前景で水の流れを割る岩礁の力強い墨線が、この景色によりリアリティーを与えている。





ふぅ、既にここで鑑賞の為のエネルギーを40%位消費。


生誕140年記念 川合玉堂 ―日本のふるさと・日本のこころ―
2013年/06/08(土)~08/04(日)
山種美術館


生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて③
生誕140年記念 川合玉堂展 6/22ブロガー内覧会にて①






生誕140年記念 川合玉堂展 6/22ブロガー内覧会にて①

ただでさえ見やすい設備の美術館での内覧会で、玉堂を堪能とは、贅沢きわまりない。
まずは、企画者と主催者の見識の高さに合手礼。



数年前移転リニューアルしてから始めて山種美術館へ伺ったのは、つい10日ほど前。
この玉堂展が始まってすぐの平日。 美術館としてのクオリティーについてはあとからじわじわ感動したものだ。
作品に対する照明効果は妙技。絵の隅々まで這うように舐める様に堪能し、二人だけの濃密な時間を次々に過ごしました。
うーん、風景画なのにえろてぃっく。



最初の一枚はちょっと落ち着かない場所なので、あまり良い作品を掛けないでほしいのだが、2枚目ほぼ初っぱなから絵と二人だけの世界に、いとも簡単に入っていってしまった。
 
広いとは言えない展示室面積の割に、川合玉堂展のボリュームはかなりのものだった。
山種美術館所蔵だけで70点が惜しみなく出展されている。


 
地下の展示室に入っていくと、最初の印象は ”暗すぎない?”だったのだが、これがなんと鑑賞の集中にものすごい効果を。
しかも世の中のガラスってこんなに進歩していたのかと重ねて驚かされる。
反射の映り込みも最小限で、作品をナマで観ているような自然さ。壁面の大展示ケースなど、何度も爪先で軽くガラスの存在を確かめていた。
これ、単に掃除が上手いとかではないはずです。

ただ、今回、内覧会では少し照度が上げられていたかも。
肉眼では邪魔にはならないけど、写真をとると大分反射がはいっちゃった。
作品の写真を撮っていて、接写をしようとガラスに触れてしまうと、真横で待ち構えてる係のお姉さんが、撮影後にキュッキュッと掃除をされていた。
ごめんなさい。

参考まで、こんなサイトをみつけたのでメモ。
「こだわり」ってなんかやっぱり素敵だ。
e-THEORiA.com| ミュージアムレポート 








生誕140年記念 川合玉堂 ―日本のふるさと・日本のこころ―
2013年/06/08(土)~08/04(日)
 山種美術館

生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて②
生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて③



2013年4月18日木曜日

展覧会のコピーがすごいこと

国営機関だった国立博物館が独立行政法人となってからだろうか、特別展覧会や公開講座、講演会、シンポなど、素人さんでも参加しやすくなるための工夫に熱い心を感じる。

時勢に(比較的)敏感になったし、京博の若冲展以来、ネット口コミを多少神頼みに近いレベルでプロモーションの軸としつつある。

それにしてもやりすぎ。
今日もらってきたフライヤーもツッコミどころをおさえてます。

展覧会名称が大胆過ぎる上に、キャッチがちょっと攻撃的。

東京国立博物館 2013年10月8日ー12月1日

  『京都 ー洛中洛外図と障壁画の美ー』

    京都でもみることのできない京都。





東博は、舟木本を始め洛中洛外図の重文を一番多く持っていることを少し鼻にかけていると思われても仕方がない。
ここまで大見得切っているのだから、当然上杉本も借りてきてくれるのだろう。
しかし、本年一番楽しみな展覧会になる。


そして、もっとたまげたのがこれ。
東京芸術大学大学美術館 2013年9月3日ー11月24日
『興福寺創建1300年記念
  国宝 興福寺仏頭展』

 白鳳の貴公子
  あの奈良の仏頭が今秋、東京・上野に!



やけにシュールでしょ。
貴公子と言ったって、頭だけだ。仏頭なんだから。

ましてや、仏頭大使とか言ってみうらじゅんといとうせいこうがひっぱり出されたらんちき騒ぎだ。>この二人って、そろってひらがななんだ。。。
トークショーとかあれば応募しちゃうんだけどね。
いとうさん、この間ツイッターで、ろくてもない企画を持って来やがったって、怒ってましたが、これも断って良かったんではないでしょうか。


ちょっと前までは、「若冲」の名前がててれば満員御礼と軽く揶揄さえしていた辻先生。
これは、まさか辻先生が考えた展覧会タイトルではありませんよね。

東日本大震災復興支援
  『若冲が来てくれました
    - Jakuchu's here!-』


「若冲が来てくれました展」でいいのでしょうか。
辻先生は「奇想の・・・」生みの親。一時は若冲と奇想で、江戸絵画はいったいどうなってんだって騒ぎでした。

東日本大震災復興支援
  『若冲が来てくれました- Jakuchu's here!-』

仙台市博物館 2013/3/1ー5/6
岩手県立美術館 5/18ー7/15
福島県立美術館 7/27ー9/23


ただし、何のひねりも無く、取り急ぎ「奇」の字を入れておいた感たっぷりなのが、
江戸東京博物館 2013年5月21日ー7月15日
『ファインバーグ・コレクション展

      江戸絵画の奇跡』


ひねらないと、いつもどっかしらんで江戸絵画の展覧会やってるイメージが強くなりませんか。。。


2013年の年明けに近美で開催された所蔵品展、
東京国立近代美術館
    『東京国立近代美術館 60周年記念特別展 

       美術にぶるっ! 

ベストセレクション 日本近代美術の100年』



確かに所蔵品の多くは江戸期から近代へ、和画から洋画へと日本美術が揺らぎにゆらいだ時代の作品。力もはいってしどけない姿でとらえられた女性にぶるっと来てる感じ。
ボリュームがありすぎてへとへとになった展覧会だ。

おそらくこういった力んだコピーの発生理由が、2000年に京博で開催された『若冲展』
その後の『曾我蕭白展』のそれぞれの話題性だったらしく。



『没後200年 若冲展』

 こんな絵かきが日本にいた。


若冲ブーム再興の師とも言われている、狩野先生が書かれたコピー。
この方、この大注目の後、
 

円山應挙がなんぼのもんじゃ!


と、京都で言ってのける命知らずの同大教授。
『曾我蕭白 ー無頼という愉悦ー』のコピー。
堂々と東山七条の京博から始まって、四条通、京都駅と、京都中にけんかを売っておられました。


これらのコピーは、キュレイターや、お仲間うちの美術史家の先生方の語りぐさでもあり、当時よほどのインパクトだったんでしょうね。
確かに、「ふざけすぎだよな。。。」と思ったけど。

数年前に千葉市美で開催された蕭白展は記憶に新しいけど、
もう、言葉もないです。

千葉市美術館 2012年4月10日ー 5月20日

『蕭白ショック!! 

  曾我蕭白と京の画家たち』


ああ、結構いろいろ思い出しておもしろかった。
タイトルコピーは関係ないけど、なぜここでかるら・・・?とつぶやいてしまった。



興福寺、やはり、八部衆でも阿修羅と迦楼羅は値段かえてるんだな。きっと。

美術でも芸術でもない、言い切るが、
夏休みのお楽しみ、科博の特別展
ダイオウイカの目が人で怖すぎ。




国立科学博物館 2013年7月6日(土)〜10月6日(日)

『深海』


夏休みが始まる前に早々に行かなくては♪










2013年3月31日日曜日

並べる為の本を選ぶ。


31日に参加する予定の「本棚をつくる」ワークショップ(トンカチ使うDIYではない)のため、持参する本を3〜4冊ほど選定する。

アドバイザーと、参加者が持ち寄った本をつかって、どのように本を並べていくか、
本を手にとってもらうための並べ方などについてのワークショップ。

なぜその本を選んだのか、なぜ人に奨めたいのか、具体的にその本のどこが良かったのか。蔵書の中から、わかってる相手に奨める本を選ぶのは簡単だが、不特定の人に手にとってもらうための奨め方は考えたことがなかった。
いざ、3冊選んだところで、改めて、「なぜ」を考えたら、結構難しかったので、予習をする。

3冊を解体してみて思うのは、これらの共通項は「没頭の病」だ。
永井氏は史実の流れの中、わき起こる疑問や事項への執着にたいして、徹底的に史料を這うようにして読み込み、その答えを姿露わにしていく。史料への没頭。
稔典先生は、カバへの執着を、研究者の没頭力で追い続ける。
そして、辞世の言葉は、死への没頭。未知なるものへの執着。生きる事への追求。

いずれも、著者が抱える「好きな物」に対する”重い病”だ。

■1冊目  

『岩倉具視―言葉の皮を剥きながら』 永井路子著

・タイムリー
 NHK大河『八重の桜』幕末から明治の日本が動き始める時代のキーパーソン。
・著者
 鎌倉ゆかりの著者。独自の史料研究による歴史小説家。
 鎌倉にゆかり深い時代小説を特徴的な視点(陰のキーパーソン視点)で描き出す、歴史の読み方。
・当著書について
 幕末から明治の幕開けの中、岩倉具視が何を目的に、どのように動き、歴史を動かしていったか、「尊皇攘夷」「明治維新」といった、誰もが耳慣れたこの時代のキーワードが含む、真実や根底を洗い直しながら、岩倉が活きた時代をあぶりだしている。
半籐氏の『幕末史』と平行して読み進めたら、またおもしろかった。


■2冊目

『辞世のことば―生きかたの結晶​』 赤瀬川源平監修 

・絶版
 人に薦める本を選ぶ場合、必ず入る本。
 プロモーションの仕方で、もっとヒットするはずと信じている。
・著者の文章が好き。
 美術関係の著書も多い。割と売れっ子だと思うが、当著作は「監修」なので、何処まで本人の手が入っているのかは不明。
・歴史に名を残す人物から、一般の人までを含め、没年順に、辞世にあたる言葉や文章を列挙し解説されている。
 命が尽きようとする人のつむぐ言葉を、その人の人生と終焉を踏まえて読むとき、
 花が咲き、力一杯に命を燃やす様な美しさを感じ、心が洗われる。


■3冊目

『カバに会う―日本全国河馬めぐり』坪内念典著

・著者
 俳人、正岡子規の研究者
 佛大教授
 カバ好き。カバに関する物、置物などのコレクション。
・日本で飼育されているカバすべてを訪ね歩いた記録随筆集
 各々のカバへ対する愛情も、研究者ならではのデータ力が垣間見える
・カバたちのそれぞれの生活や飼育環境、人気の状況など、ほのぼのしたり、切なくなったりと、読み終わると追っかけ行脚したくなる。


と、こんな感じだ。
書籍のプロが居ると思うと、うかつなことが言えない気がしてちょっと物怖じしてしまうな。
初めてのワークショップスタイルなので、楽しみ。

2013年3月24日日曜日

『終わりのない歌がきこえる』ー宝くじが当たったらー


たった一回きりの再会イベントをやるのだ。

イベントタイトルは

 『終わりのない歌がきこえる』

日程は2Days、

1日目はメタル/ハードロック系
2日目はビート系

この言い方自体が既に出演バンドを物語る。
ロックンロールオリンピックのように真っ昼間から始める。

2日目のメンツは以下。

※東北ロックサーキットのメンツそのままデラックスにした体だが、それ故あのイベントの凄さが今更のようにわかる。


『終わりのない歌がきこえる Vol.2
 
                 —Beatnic Day— 』


           ※出演順
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筋肉少女帯
アンジー
LAUGHIN' NOSE

THE BLUE HEARTS
ZIGGY
Personz
De-Lax

The Mods
The Willard
The Street Sliders

Buck-Tick

ARB
      — Special Fnale —

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以下がセットリスト。
一回こっきりのライブだから、当然 "Best of The Best "


THE BLUE HEARTS ===============
こんなちっぽけな惑星の上
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M1   ブルーハーツのテーマ
M2  終わらない歌
M3  人にやさしく
M4 ハンマー
M5 チェインギャング
M6 未来は僕等の手の中
M7 少年の詩
M8  僕の右手
M8 君のため
M9   ロマンチック
M10  TRAIN-TRAIN
M11リンダリンダ
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ZIGGY ======================
やばい、これ以上削れない。。。
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M1  それゆけ ! R&R BAND
M2  La Vie en Rose
M3  Born To Be Free
M4  STAY GOLD
M5  眠らない25時の街で

M6  6月はRAINY BLUES
M7  BURNIN' LOVE
M8  Tokyo City Night
M9  How
M10  Silent Eveを待ちながら

M11  I'M GETTIN' BLUE
M12  ONE NIGHT STAND
M13  DON'T STOP BELIEVING
M14  SING MY SONG (I JUST WANT TO SING MY SONG)
M15  Gloria
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Personz ====================
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M1  Modern Boogie
M2  TV AGE
M3  Mystery Hearts
M4  POWER PASSION
M5  Hollywood Movie Star

M6  Midnight Teenage Shuffle
M7  Never Surrender
M8  Dear Friends
M9  Lucky Star
M10  RomanEsque-HeartAche
M11 Dreamers
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De-Lax =====================
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M1  NEUROMANCER
M2  突然炎のごとく
M3  SPIRITS A GO-GO
M4  SEX,GOD,BLOOD
M5  BLUE HEART LOVER
M6  WORLD'S END -世界の果て-
M7  SACRIFICE

M8   Candy
M9   CRAZY BOY
M10  SENSATION
M11  REVOLUTION -永遠の薔薇-

M12  WAR DANCE
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The Mods ===================
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M1  崩れ落ちる前に
M2   不良少年の詩
M3  ゴキゲンRADIO
M4  LET'S GO GARAGE
M5  ご・め・ん・だ・ぜ
M6  のら猫ROCK
M7  TWO PUNKS
M8  バラッドをお前に
M9  パズル・シティを塗りつぶせ
M10  T-O-K-Y-O アイランド
M11  激しい雨が
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The Willard =================
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M1   バット・サン・イズ・トゥー・ブライト
M2  VAIN FOR YOU(Congratulation)
M3  トリック・スター(アイ・ワナ・ビー・ユア
M4  VANGUARD
M5  バット・サン・イズ・トゥー・ブライト
M6  Faily Tale
M7  Run Sindy Run
M8  Smart Escape Forever(With Silver Guns)

M9  ミザリー
M10  NIGHTMARE
M11 ライトニング・スカーレット
M12 STINKY VICE
M13 THE END
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The Street Sliders =============
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M1   Blow the Night
M2   Dancin' Doll
M3   So Heavy
M4   Let It Roll
M5   天国列車
M6   7th Ave.Rock
M7  TOKYO JUNK
M8  Easy Come,Easy Go
M9  サテン・ドール
M10  のら犬にさえなれない
M11  道化者のゆううつ
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Buck-Tick ===================
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選曲はあっちゃんのこころゆくままに
決めていただく。

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ARB =======================
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M1   THE BOXER
M2   Tokyo Cityは風だらけ
M3   BOYS & GIRLS
M4   ONE WAY TRIP

M5   AFTER '45
 
M6   ダン・ダン・ダン
M7     STANDING ON THE STREET
M8    ボート・ピープル
M9    トラブルド・キッズ
M10   Do It ! Boy
M11   War Is Over !
       encore
M12   さらば相棒
M13   ユニオン・ロッカー
M14   魂こがして
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一日では収まらないので、メニューはもっと検討が必要だ。。。

お金を積んだとて無理な話だよね、お祭り気分の軽いノリだ。
それぞれ現役でミュージシャンをしている方々なので、十分失礼な内容であるのもわかってるけど、何となく、思い立ったら懐かしくて一気呵成にメニューを作ってしまった。

ここに、本当であれば、ROGUEBOOWYがあるはずだ。。。
ROGUEは、いれるならBUCK-TICKの次、ARBの前だ。
メニューは、決めるのは私ではない。

BOOWYはもはや、なんだったのかさえもよくわかんなくなってきた(笑)

筋肉少女帯アンジーLAUGHIN' NOSEは同じくらい好きなバンドだったが、
ライブでしか知らないから曲と曲名がほとんど一致せず、
さくっとセットリストが作れなかったwwww

あのころにはかえれないんだな、、、もう。
メタル/ハードロックデイもつくろっと



2013年2月15日金曜日

起雲閣の隠された窟

知らない街で路線バスに乗るのは好きだ。
乗り降りや運賃の支払い方法がそこによって異なるのを確認すれば、あとは地元っこぶるだけ。
ぶっているので、乗り間違えたときは慌てず、適当な停留所まで行って、降りて(人知れず)帰ってくる。

熱海の路線バスは三社程が走ってるけど、すべて前扉乗降で整理券制。
後ろ扉は使わずに前扉から降りる人が終わると、乗る人がわらわらと入ってくる。
車掌さんの一元管理体制だ。なんでそうなったんだろか。
乗客は徹底的に、地元のご年配なので、どんなに混雑していてもステップの高い座席は空いている。

熱海駅から④番のバスに乗って、漸く起雲閣に到着できた。
受付のおねーさんも、外のスタッフの方々も皆、明るくて感じがいいのね。
好きですそういうところ。

本当に見事な作りの建物って、入った瞬間、最初の一歩で空気の移動や壁、床、柱の揺るぎなく重厚な様、母性的な包容力が体感される。そんな家だった。


二階への階段など、重厚すぎないステップや手すり、踊り場の空間は、なじみ深く懐かしい安心感。
写真をとってもそれがうまく映らないのであきらめる。
和室は旅館だった時期をあまり思わせない、上品なシンプルさ。
滞在している部屋がこんなだったら、本当に我が家の様にくつろげたろうな。



全面手漉きのガラスが残っており、眼下に広がる庭園と春を思わせる陽光を優しく見せます。

よく、割らずに残ってるな。。。
ウチはもうほとんど残っていない。


この最初の日本屋が初代のオーナーが立てた建物。
その後、隣に続く洋館作りの建物と、庭園を
次のオーナー、根津嘉一郎氏が作る。
それが今回の目的。



日本屋から続く廊下に玄関口が設えられ、
すぐ右手にモザイクタイルのサンルームがある。
日本屋の二階から見えていて、まさか仲間で入れるとは思っていなかったが、
自由に入れる。第一歩で声を上げたくなるような一室。



洋館と言うよりは東洋の美を日本人なりにいいとこ取りといったところ。

庭園といい、この建物といい、根津氏の美意識に澁澤以来のものを感じる。
良いものを見せていただきました。














このモザイクのサンルームの後ろにダイニングなのか、大テーブルの部屋がある。
徹底した美意識の集結。
お金持ちの、正しいお金の使い方だ。

どうも写真を撮り忘れた様だが、このほかにもう一室、暖炉のあるリビングがある。

暖炉の上には、あらあら、どっからもって来ちゃったのか、唐代頃であろう、如来三尊仏龕がはめ込まれている。
部屋の梁や柱のすべてに、横筋の鉈彫りの後を残し、要所に蓮華とパルメットの意匠を施している。



ああ、この建物って本当に洋館ではなくて、シルクロードなんだな、と思った。
それがこの方のこだわりなんだだな。と。




そして、シルクロードは、西域を超え、ローマにたどり着く。


やはりここも、すべての道はローマへと続いていた。。。。

この当時は温泉は出てなかったと思われるので、あまり暖かくないお風呂だったろうな。。。



その後のオーナーによって立てられた旅館棟などを通り抜け、館内は一周出来るようになっている。
いろいろ勉強になる、本来の日本の粋を見させていただきました。
最後に戻った日本屋の一階の部屋にある展示資料に、かつての東洋館(もうそう呼ぶ)の写真があり、確信。

建物の土台部分の石組みにほこらが作られており、中に仏像が置かれている。
やはり、彼がやりたかったことはこれだったのね。
と、ファーストインプレッションの美意識の共鳴に、個人的納得。うれしい。


今はその石窟(あえて)は蔓性の植物に覆われてしまっている。

でも、あった。
ツタをめくって確認してきた。
仏像は当然ありませんが、窟はあった。

ツタをはらって、窟を出すべきだ。。。