空気が冷たいのが心地よい快晴。
横浜美術館は贅沢に取られた空間を存分に活かしている質の高い施設の一つ。
会期中に催される様々なイベントやレクチャーも興味深く、
一日を費やしても疲れを感じない。
今回の「長谷川潔展」は横浜出身のアーティストとして、この横浜美術館開館以前より
準備がすすめられていたという満を持したもの。
そのとおり、作品の展開方法や手法へのこだわりによって素人でもかなり分かりやすく
且つ重厚な意志が伺える、感謝さえしたくなる展覧会でした。
長谷川潔氏の作品を知ったのは京都で必ず伺って一年分のポストカードを物色して来る
便利堂さん。
京都国立近代美術館所蔵の「仮装したる狐」に一目惚れして以来。
整然とそぎ落とされた揺らぎの無い線で表現される静物等が
その視界の向こうで持つ意志と前後のストーリーの存在を確信させる。
幾何学の中に巧妙に配置された空間の広がりは圧倒的だ。
「コトバにはできないから、絵を描いている」
と言われたのを思い出す。
文才が無いからということではないのは解ってたけど。
私は常にコトバで並べ治め、コトバで粉飾することで、足下の調和を保ち、
それは美しい「事実」となってその存在を帯びる。
「事実」は容易く形容可能になった時点で多くを枉げて伝播していくことになる。
コトバは人がつくり出したもっとも安易な手段で、故に不穏なオブジェだった。
心を奪われる絵と逢う度にこの負けを認める。
絵はそれを描く目が見た全てを写し出している。
実体のある物の、その中に、その目に映る「事実」が写し出されたとき
伝えられる「真実」は歪みを孕まづ。