2006年2月13日月曜日

課題図書

「秘めごと」礼賛



「秘めごと」礼賛
著者:坂崎重盛

人に何かを薦められるというのが、案外すきなのです。
ギフトもそうですが、薦められたものを開いてみたときに、
その人が自分をどういう風に見ているか、場合によってはそれまでの付き合いの
評価となってそれが送られてくるとも考えられるわけで。

年明け、学期明けテストのように配布された
web上の日本語テストの結果により部長から渡された課題図書。
本というのは、自分で読みたいものが順番待ち状態なので人から薦められたりすると、
優先順位に困るのですが、ウチの部長の場合は、その点百戦錬磨、しかも私とは
おそらく畑が全然違うので興味深く、且つ信頼度もあるので、
逆にうれしかったわけですが、結論から言うと本当に面白かった。
まず、新書版を自分で選定することがほとんど無いので、それを手渡された瞬間、
「やばい」「でもいいきっかけかも」が同時の感想。ぱらっとページをめくれば、
よく知る文豪の名前とくすぐったくなるような単語。

著者の書き出しには男の「秘めごと」を推奨するための著作となる宣言が。
多くの文筆家がその書でアンオフィシャルな愛についてを己の美意識をもった
フィルターを(あからさまに)掛けて綴る。
その様を同じ男の立場から、その表現の真意、心情とその真実、を
暴くかのように解説して交えていく。
それがなかなか面白く、一見ポルノ文学アンソロジーとして終わってしまうんじゃ無いかと
危ぶむとともに、「ははぁ~」「へぇ~」「ああ、そうだったのか」「やっぱり」等と、あれこれ
過去の出来事にてらしてはほくそ笑む事、電車の中だ。
案外これには、並びたてられているそれらの文筆家達どころか、現在手中で複数の恋人を
転がしている気になっている多少の理解力を持った男なら、相手にこの本を読まれた
事を知るや、冷や汗か、小さく悲鳴を上げるところではないんだろうかしらん。

当然のこと、もの言うのは女の立場からになるが、記述にあるとおり、
オフィシャルな恋人もアンオフィシャルな恋人も愛されている事には変わりはないとは
理解しても、己がいずれかのポジションに立ったとき、愛情の優劣ではなく、
握った鍵の重要性を重んじるべきだと思っている。
男がそれを個々の恋人に握らせる力量と精神力はそれなりの覚悟が必要なわけだ。

全てを承諾してそのポジションを望む恋人はけっしてそれ以外を望まない。
何も理解する必要がなく陽だまりに座らせておく女ならその陽だまりを死守する。
このどちらか一方でも壊してしまえば男の価値はその時点から向こう約半年は半値以下だ。
アンオフィシャルがオフィシャルの目の前へ出てそのポジションを鷲掴みにせんとしゃしゃりでるのも、
オフィシャルがアンオフィシャルの存在を知りその場を立ち去っても
それらの恋人を飼い馴らす事ができなかった失墜は大きい。
いずれか残った(残ってしまった)恋人の価値さえも足を引っ張る事になるのだ。
かんべんしてほしい。

中盤加えられている女性達の短歌や、女のコトバとしてかかれたストーリーの中の台詞を
引用し訴える部分からも、この著作、じつは多くは女性の読者を視野にしたもくろみもあるんだな。
そのとき自分がどのポジションとなった場合であっても、男のあるべき、女のあるべき、
と、その心の中にある「愛」と「情」の行く先を冷静に受け入れ、この世に堕ちた意味を
知ろうと訴えて終わっているような気がする。
とはいえ。

たとえば、
「この本を読んで、覚悟を決めたのでオレと不倫してほしい。」と、
下腹部深くを握られた上で腕っぷし強く抱き寄せられたとしても、
その際何とお答え差し上げられるかはこの場では差しひかえさせていただきます事、ご容赦下さいませ。



ってぇ~感じです。ぶちょー。