2006年7月29日土曜日

Japanesque heartache

キュートなおネーさん達の丁寧な会場整備と虫よけスプレーに迎えられ。

剥き出しの角材で組まれた舞台組にアクリル質の透明フロア。
洩光にわづかに浮かび上がるバックの日本庭園にときおり蝙蝠がはためいているのが見える。
ここまでバックグラウンドを見方につけてるとなると、
ありきたいりになりそうな照明効果をどれだけ「効果」としてつなげられるか。期待し過ぎだろうか。
スポットの狙う方向もツボをおさえてるのまでは見えてるけど。

美加理嬢の存在をなんとなーく知っている程度で他はまったく予備知識の無い状態。
もともと小劇団はあまり観ないし、パフォーマンスやダンスはこの美加理と
勅使川原三郎氏くらいしか解らない。
そんな状態で観に行きました。ごめんなさい。

役者は2人1役、moverとspeaker
クラシカルな台詞回しでspeakerの声は潔く通る。
文楽の人形の如く閉ざした口と動かない視線のmoverはオーラだけで表現を強いられる。
舞踏家である美加理の存在が最大限に活かされているのは確か。

1幕は沖縄の民族衣装を混在させたかさねが彼女の顔だちと存在感を位置付ける、というか、解りきってる程にハマり過ぎ。
対するトリスタンのイギリス軍は正に、その昔日本国海軍がイギリス軍にかぶれてデザインしたミリタリーコスチューム。
2幕のトリスタンの越中姿は誰の好みなのかは存じませんが、
3幕はその衣装を北へ転じ、アイヌ民族衣装と、美加理は鶴の恩返し・・たしかどっかであんな衣装観た事あるんだよな・・・。





オペラの演目を基軸に不特定なリズム感と不協和音となって響く朗唱は
おそらく密教系に口伝される声明にヒントを得ているのだろうか。

囃子方となるspeakerは右手に扇子を立てている。
あとは北斎が足りないくらいのJapanesque

やはり未だこのくらいやっても海外で受けるのか。
言わずと知れた美加理嬢の放つ空気はそれら全てを吸収しつくし己を放つベクトルに変える。
これがこの人の才能、というより、もはや「力」。
たとえ集団で作り上げる舞台であってもいかに空気を己の武器と変えることが出来るかが役者の勝負。
ステージに上がってしまえばより多く奪ったもん勝ち。その差が歴然となってしまってくると、
舞台演出自体が、伝統文化への意識が低い日本人が改めて日本かぶれしてしまったかの様にも見えがちで、
美加理のパフォーマンスの達者さ故、彼女が居ないスペースに荒く浮き出てしまう物足りなさは
予算のせいなのかしらん。とまで勘ぐっちゃって。

面白味を含んでいるのにネタの出場所がほとんど見えてしまってる京極小説みたいな残念感。
似てる。。。

百聞は。。と言うけど、美加理に釘付けとなった2時間。
極端に少ない彼女のまばたきはパフォーマンスへの集中力の強大さなんだな。
拳くらいしかないんじゃないかと思う頭蓋と小さな体がスパークさせてる自信は、
「なんでこのひと小劇団しかやらないんだ」という「勿体ない感」ひとしお。
ああ、其処にもじゃぱねすくだ。
そういえば、ラストで二人とも死ぬんじゃないっけ?とおもうとむくっと起きたりする。
野外ステージで幕が降りないから初めての人は何処で終わりなのか、事切れたタイミングがイマイチ解らない。
「あいまい」は茶のこころだ。
日本のこころ総演出だ。
す、すごい。ク・ナウカ。
ああ、スポット。ぜんぜん違和感なかったから。
はまってたってことなんですね。ねね。