2007年2月2日金曜日

白象ヲミタルコト

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京博へは必ず立ち寄るのにそれゆえいつでもいけるからと後手後手に
なっていた感じの蓮華王院養源院。今回は京都に行く前に発売さ
れた新刊の影響で、やはり、順序として後手にまわしてはいけないの
か。と悟り。宗達を堪能しに養源院を目指す。
博物館の常設のように展示期を逃すとその後何年先に見れるかわから
ないのとちがって、常設されているとおもうとつい。
智積院はいったのにね。あれも狩野先生のコラムによってです。はい。




やっつけ仕事のごとく闇雲に鑑賞してもしょうがないので、後ろ暗くも
そんなきっかけがあったほうが、ただ消化しているような焦りもなくていい。

立派な古い民家のような広い敲きのある玄関へ入るといきなり目の前に
宗達のお獅子が。かわいらしい。このデザイン性、当時にしては「ふざけてる」
とかおもわれなかったのだろうか。

玄関横の控えに女性の職員の方が数名。
暖房機やお菓子居れ、小引き出し等が障子に組み込まれた少しゆがんだ
ガラス越しに見えて、時代物の映画のシーンみたいだ。
私の存在にまったく気がついてもらえないところといい。・・・。
もう一回呼んで出てきてくれなかったら、お獅子と記念撮影でもしてようか?
という心の声が仏様越しにきこえたのか、やっと拝観料を徴収してくださった。
拝観券ではなく、渡されるのは寺の由緒書となるテキストと宗達のポスト
カード。嬉。
ただ、ポストカード、小引き出しから出てきたときはお獅子だったのに、
障子越しの室内の風景が気になってわき目をしてもどったら、白像になってました。
なんで?
この人、お獅子じゃなくて、像でしょ。とおもわれたのだろうか。
うれしかったですが。
そんな感じでこちらの主役は白像で当然と思い込んでいたので、ガイド方式の
参拝にちょっと戸惑う。
お参りもしないでいいんですか?という疑問はさておき。
アナログにも職員の女性の手動でレコーダのカセットテープが部屋の順を追って
再生される。たまーに遭遇する手法。
私の到着時は2つ目のお部屋での再生中だったようで。いきなり白像でした。
お若い男子の3−4人のグループと私だけでしたが、ボーイズは修学旅行以来なのか、
「やっぱりあまり覚えてない」とか、「こんなだった気もする」とか、
ガイドテープを耳にしながらぶつぶつぶつぶつ。
修学旅行のコースにいれるのか?ここ。とかおもいながら。ご本尊かとおもわれる
前にお賽銭箱があったので、ガイドをBGMに手を合わせてみる。
こんなだと、あんまりこのお賽銭箱、つかわれてないだろうな。
そんじゃ、ごめんなさいよ。と拝みつつ、2頭の白像を堪能。

像が日本に初めて来たのは1608年ころだったかな。その以前にも時の将軍が
個人的にお取り寄せしているような話もあるようだけど・・・それはトラの仔だったかな?
宗達がこの杉戸画を描いたときに像を見たことがあったのかは知らないけど、
明らかに間違っているか否かはこだわらない。
古代信仰が「神」を人型にして像を求めたのと同じく、象徴物としてのデザイン。
その、重力ゼロ感が神々しい。
かわいー。って表現だけで、これ好きですというのは申し訳ないけど。
それでゆるして。
だって何しろ、メーンは私の目的とはかけ離れており。

ああ、そっか源光庵とセットで血天井だったのか。鷹峰で体験しなかったので血天井ガイドはここがはじめて。
結構、きっついっす。
本堂にわたる鶯張廊下の天井がメインスポットで、おねーさんが細い棹をもって
最後の時をご説明下さる。
淡々と順をもって語られる口調にもその内容は壮絶で、
刀を握ったまま倒れる武将、此処が伸びた左足、ここで曲げられてる右足・・・
う゛・・・。
で、こちらが・・・。
と、もう何人分ご説明されたかもわかりません。
「そして、こちらが・・・」と家康の忠臣、鳥居元忠が兵の最後を見取り自刀した痕跡という
ご案内に至る。
最初に一回見上げた時に、なにやらはっきりした形が見えてしまったので、
これはもう見ない方がいいと判断し俯いて、ねーさんの説明が終わるのを待っていたのですが、途中、ねーさんはそれに気が付いて何度か説明しながらもこちらを気づかって下さり、
しょうがないので、気にしないでくれ。という意味で首を振って納得していただきました。
耳を塞がなかっただけ、がんばったと思う。
説明のことごとくに、ボーイズが「おーーーーっ」とか
「う゛っわー、すげーっ」と唸る。
昨今の男の子が声を上げてしまう程すごいんすか・・・?

元忠の手勢わずか800の兵で、襲い来る石田光成の軍勢をむかえ伏見城を死守した最後を思うと、もうちょっと気持ちを持って手を合わせられればよかったと思う。
伏見城は元忠勢陥落後、長く敵の手中にあったため、その遺骸を弔うことが叶わず、
残った血痕は洗い落とすことができなかったそう。
宗達の杉戸絵はその霊を弔うために画かれた神獣達。
再訪の際はもう一度そのことを胸に手をあわせましょーね。