2007年3月13日火曜日

まーちったらちったかたー。


かっかっカエルのおへそ
みっみっみみずの目玉
あるのかないのか
ないのかあるのか見に行こう。


ソライロマーチに大満足。



2007年3月11日日曜日

人骨サンプル遺産

掘れば人骨ばかり出て来て調査に時間がかかり、迂闊に家の立て替えが出きないと、
円覚寺境内近隣に住む友人が言っていたのをよく思い出す。

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ユネスコ世界遺産への登録のハードルはどんどん高くなっていて、
世界遺産の登録基準への合致、且つ、真実性(オーセンティシティ)と完全性(インテグリティ)という限り無く抽象的な精度を要求されている。


頷く人の一存な気もするレッテルなのだけど。

まさに、本日の講演会はその世界遺産と言う名のレッテルへ向ける姿勢についてだったのでは
ないだろうか内容。
掘って何千何万と人骨が何百年分も出て来る所は此処だけだ。と、
先生もおっしゃってましたが、
文化史における真実性、唯一性とすれば、世界遺産級の出土。
遺体放置文化は果たして蛮族の風習なのか。
ダメかな。過去の遺産と現代との協調性を考えると一切観光資源にもならないから、
民の協力も望めないスポットが出来上がる。
いや、そんなものは目指してないけど、鎌倉。

ベストセラーとなるとどうして敬遠して避けてしまう嫌いがあり、
著書は触れたこともなかったし、しかも鎌倉の人とはまったく知らなかった先生ですが、
理論の完成度の高さと説得力は流石だった。
無下に披露される下手な毒舌だけで、観点を抽象的にしてしまいがちな面白いだけの講演会では無く、博学さにとッ散らかったように見える脱線の点は必ず線で繋がる。
聞く側にも少なからず脳を使わせる話術は、独特な口癖が注意を促す。
手を使え、体を使え、頭を使え、脳を回転させ続けろと。1時間半はあっという間に
先生の手の上で転がされていたような。
みっちりとプレゼンの一番難しいく、且つ基本を改めて勉強。

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古代史から太平洋戦争と戦後、この民族が絡め取りながら手繰って来た今にのびる線を
縦横無尽に引き合いに出し、まずは日本人でありきを見直すときである問題提起をもって、
時を止め当時の真実を今に伝え続けている遺産を「生かす」というコンセプトに帰結させる。


時間を終わってみれば、ただ、「見事」という言葉と、
あちらこちらに枝葉してた自分の考えをものの見事に整頓してくれたフィット感の
嬉しさ。
以前、会社の先輩、Tさんと話した、京都と鎌倉の何が違う故に、
鎌倉に世界遺産が無いのかという持論もあながち間違ってないような、
もっと具体的に展開させ、多角からの観点をきちんと細分化して、
では、自分の理論がどの角度なのかをはっきりさせる大きなヒントを得たと思う。

なにしろ、今現在の成り立ちって、あらゆる因果が土台を成して次々積み上がって行った結果であり、経過で、では、京都の底力の因果を噛み砕いて肉にしようとおもえば、
聖徳太子まで遡ったってまだ足りない。
そうなったときに、彼等(京都人)が「こないだの戦争」といえば「応仁の乱」とくる、
限り無く長いスパンの時間軸を持っている中常に存在する「文化」、そのあおりを如実に受けた時代ごとの縦軸に切ると、桃山や江戸の栄えは、まさに人が足を使い物を運び、頭を使い金を回し、文化を発展させ都を作り上げた時代。それは、必ずしも当地を選んだ武士やお公家さんの功績一つではなく、吸収し生産することで這い上がる階層の人。商人力に学ぶものは大きいのではないだろうか。

いつも、大好きな日本画を見て思うのは、卵が先か鶏が先かの、ごとく、
「物流」と「文化」と「美意識」どれがトリガーとなって、この美しい画を望んだ
豊かな時代を築いたのだろう。ということ。私の考えの起因はどうしても結局、日本画なんだけど。

アメリカの正気と狂気を司る石油。
広大な大地をひた走る不安感。それだけを原動力に立てた未来予想は、
短絡的でガムシャラな行動しか生まない。
日本は石油がなくても文化を発展させた民族であることに気が付き、
誇ることで、無二の回路はまだまだ広がる。

日本がユネスコ登録されてから16年、今さら感が拭えないけど、
えーこんなことが足りん、という課題山積でおもしろいといえばおもしろい。




鎌倉世界遺産登録推進協議会
養老孟司会長講演会 ー生きているまちの世界遺産ー
鎌倉生涯学習センター