2008年1月29日火曜日

雪解けそこどけ大観

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人生の諸先輩型がわらわら活動し始める前に
朝日も残雪に冷え込む晴れた日、国立新美術館へ。

大観となると、お江戸でも人気。
メディアでの露出前にそそくさと出かけないと大変な事になりますし。

天心殿の陰に追われるように東京美術学校モノへのチェックになぜか余念がないため、大作はほぼ2回目とかだけど、やはり収穫も大きくあるもの。

今回じみーに惚れたのは
「菊慈童」と「焚火」。



「菊慈童」は能や長唄にある、帝の寵を浮けていた美しい童子が帝の枕をまたいだ事をとがめられ、死罪を免れこそしたが、獣やもののけが居るなんとか山へ流罪にされる。
帝は哀れんで法華経から2句の偈を授け毎朝必ず礼とともに唱えるようそっと教える。
なぜ、時の帝ともあろうものが人目を阻んでそんな事しなきゃならんのかが非常にB型女には理解に苦しむ所ですが。
さておき、童子くんは毎日嘆きつつもその句を忘れないように菊の葉に書き写し教えの通り毎朝唱えていると、霊験を得た菊の葉につたった露が甘露となり川へ流れ奇跡を起こす事となる。
甘露は不老不死を約束し、童子は七百歳まで(八百だったきもする)も生き、後に発見されるのが、祇園祭の菊水鉾のお話。
--この場合は「あやかし」になって・・・という発想は無しらしい。
と、そこら中で主題化されている逸話。重陽の節句もこれね。

この大観の「菊慈童」に惹かれるのはそんなややこしいバックグラウンドの話故に、
童子くんの切り取られた一瞬がなんとも、見てはイケナかったかのような一瞬のようで。胸元に引き寄せられた大輪の白菊の束に頬を寄た視線の空虚さはその深みに惹き込む危うさがある。
無雑作に菊を掴み寄せる手もクレイジーさをいや増す。
美しい。

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「焚火」は、つまり寒山拾得。でもなんか新しい。
三幅の軸だけど、これ、バラけたらちょっとわかんなくなっちゃうねえ。
めずらしくこれはすごく欲しいと思った。


光琳どのの「槇楓図屏風」展示の強引さというか、
切り替えの難しさにはちょっと参りましたが・・・。
というか、やっぱし並べられた意味がよくわからん。。未熟者。

たのむから琳派はもう少し丁寧にあつかってくれ。

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相変わらず我慢できないのがこの手。



人形町亀井堂の瓦煎餅。
負けた。また負けた。



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