だって、まず説明を始めるにあたって、質問者の問いよりも先にこっちに次々疑問が。
いったい相手はどの程度の説明を求めているのか?
どっから説明すれば良いのか、どの程度は解っているのか?
自分が何かを教えてほしいと思うときって、それこそ、長期記憶にするべく、帰結すべき回答の裾に広がるツリー状のエピソードも添えてほしかったりするので、いざ回答側に廻るとついついそれらのプロセスも矢継ぎ早に詰め込もうとしてしまう。
フレッシュマンの質問の回答が、実はとてもフラクタルなもので、しかし彼らは数行で収まる回答があると信じてそれを求めている。という経験を前職でしばしば。
答えのgatheringの深さに、当人はどこまでキャパがあるのかはその子によって様々で、ある程度で集中力が途切れるコと、「もっともっと」な目でこちらを指してるコ。とりいそぎ答えを下さい。というコ。と。
理論武装して、小出しにしつつ、相手がどの程度の情報をほしがっているのかを察して行けば良い事なんだろうが、仕事でそんなんでいいの?とか思ってしまい、つい。
質問されるという事は、持っている瓶の水を余す事無く注いでやるのが大人という生き物のしてやれるせめてもの善行だと思うんだけど。
subprimeってどういう意味なんだ、とか。なんでサブプライムローンが出来たのかとか、
金融破綻の連鎖に至るからくりとか。
そうでなくて、「サブブライム」が解んないのか、「サブプライムローン」がわかんないのか、「サブプライム問題」がわかんないのか、はたまた「サブプライムローンのナニが悪かったのか」が疑問なのか。
ナニがわかんないのか解らないのか・・・。>中学生だったらここらへんなんだろうか。笑。学校の先生って大変だな。
と、これが今流行のフレームワークなのか。とか。笑。
それで改めて脳の稼働の仕方を研ぎ直さないと。とおもったわけだ。
書く時間をつくろう。うん。
おりしも昨日、こんな本が会社で配られました。
今時のビジネス新書と自己啓発本のインディックスみたいなもんでしょうか。分厚い。