参道のど真ん中にこんなかんじで並んでる。
武道館へ向かうときのダフ屋みたいだ。立ち位置にもルールがあるんだろうか。
2009年10月24日土曜日
本日のお題
再び。
昨日の今日で勝手知ったる美術館のエントランスで、講演会予約の
「今回の講演会はお席が取れた方は本当にラッキーなんです。
とにかく、大人気で9月にはお席が埋まってしまったんです。」
整理券を手渡しながら嬉しそうに教えて下さる。
私自身もやっとスケジュールが併せられた久々の狩野先生の
講演会は第一部、狩野先生の講演から始まる。
緩さのある普段の若冲レクチャーとは異なり、先生の話っぷりか
当時、まだ京博が恩賜博物館だった頃、昭和2年の若冲展の時に写され、
展示されていたものだろうという事。
また、彩色版画についても触れられる。
『乗興舟』、淀川下りが楽しかった思い出の日記みたいなものだが、
コレがなにしろ長い。件の版木は唯一現存しているもの。112.5cmの板に
よほど素敵な思い出だったんだろうか。大好きな大典と一緒だったわけだし。
先生はこのところの多忙さをお詫び行脚と言っていた。
全く畑違いの経済学市場史研究の史料の中、経済学史研究者にとってみれば、
江戸後期、かの錦市場に発生した存続の危機に、ことごとく登場してくる
この指摘により、嫁も取らずに絵画三昧の社会不適合者扱いから、
ビジネス社会での牽引力の持ち主に、若冲の姿が変わってしまった。
紙一重のところで、江戸奉公直訴により激動の最期を遂げた画家となり、
動植彩絵の寄進を以て最期の大仕事となっていたのかもしれない。
2009年10月23日金曜日
ついでと言ってはなんだけど
でフリーだし。
っていうか、特別展も学生証で何回でもはいれるとか、しらんかったし。
パスポートが東博でしか必要なくなった。
来年の等伯展、毎日通ってやるぅ〜。
2009年10月10日(土)~11月23日(月・祝)
いまや、しゃばでは絶対こんなにじっくり観れない。
お山に登る(バスが)だけの価値あり。
2000年の若冲展以降の新出を多く揃えた展覧会となっている。
その趣きの理由の多くも、図録の解説と後日の講演会で語られることとなる。
この9年の間に、かなり個々の作品を追って(ほとんどは京博でだけど)
改め直して来たけど、まだまだこんなに新鮮な気持ちにさせられるとは。
これは協力者やキュレイターが込めている熱のせいでもあるんだな。
この美術館での他の展覧会を観た事がないのでわからないが、
なにしろ、展示が良い。
作品毎に観覧ポジションの綿密な計算が行われているかの見やすさ。
集中力が増す。
若冲の絵画をこれだけじっくり、1点1点浴びるように鑑賞できたのは、
何年ぶりだろうか。そうだ、動植彩絵の修復完了時以来だなー。
そのうちカルフォルニアへ見に行くしかないか。。と、
3年前に人だかりを前にして諦めた
「鳥獣花木図屏風」(エツコ&ジョウ・プライス・コレクション)を
え、本当にいいんですか?じゃまだったら言って下さいね。
と、ドキドキしながらも舐めるように鑑賞。
本当に1時間に1本しか無いバスに乗ってでも行く価値がある。
狂ってる。
自分の限界を知りたいが為に、限りなく広く続く画材を求めてる。
動植彩絵の「牡丹小禽図」が頭をよぎる。
画面いっぱいに牡丹を描き続け、筆を止める事を忘れた、というより
知らないかのように。
この人の瞳は万物をどう映していたんだろうか。
研究者は実はそれが知りたいが為に、研究を続けているんだと思う。
描きながらもその絵の中に居て、だから200年を経た今も観たものを
その絵の中に引き込む。
その前に立てば、己も白象の元へ集まって来た小さな生き物になる。
鳳凰を敬い、その裾に慕う小禽となる。
こんなに単純化された鳳凰が、なぜにこれほど気高く映るんだろう。
振動もないのに音楽が流れているのがわかる。
その前に経っている間は重力すら感じない。
この男の85年間が放出したものとは200年かけても計り知れない。
もはや本人に語ってもらうしか、コチラに残された時間が足りない。
mihoMuseum到着
2009年10月18日日曜日
2009年10月7日水曜日
2009年10月4日日曜日
有次でお買い物
錦の有次へゆく。
最初は雪平鍋にしたかったが、あまりに予算オーバーだったので下ろし金に変更。
フィシャーなので良し。でしょう。
名前をフルネーム(笑)で入れて頂き、なかなかの逸品に。