2010年2月15日月曜日

Face To Face ちがい


やっときた。注文から2ヶ月。納期延期2回。
やっぱ手に入らないんだと諦めていたら、
突然「発送しましたメール」受信と、
数時間後に荷物も到着。

中学生が勉強しつつも、LPレコード20分おきに
ひっくり返してはヘビロしてたいっぴん。
今聴いても歌詞がちゃんと口をついてで来る。
脳みその神秘を感じる。

すてきだったな、80年代。
思えば、小林克也の好みをそのまま刷り込まれてたきもするが。
おかげで部屋にはmadonnaのburning upの12inchジャケットが飾られ、
かかっているのはThe Cure

そっからMusicLifeとFool'sMateをもとに好みが
派生してくからへんな中学生だ。
おかげでその後「レコード会社」の人たちと合コンしても
なんの話でも一緒に盛り上がれて、
合コンの趣旨を逸したおつきあいがもてた。
おもしろかった。

みなさん、お元気ですか・・・。


いつのまにか、全然違うバンドで同じ名前がいたらしく、
どこで探してもそれしかひっかかってこなくて、
マイノリティーな己の青春に切なくなっていたが。
アマゾン素敵。





2010年2月7日日曜日

ひもとく






 その絵から得たい情報は、本当はいったいなんなんだろう。ただ、絵解き、謎解きも、数値的確たる論拠があれば、あとあと付加価値となってかえってくるけど。

 その切り取られた一瞬が伝えているものを読み取る。その描写に至るプロセス、か、シチュエーションか。
 かつて、画師の筆遣いを追い呼吸を感じようを日がな硝子の前にへばりついた。その画材、依頼主やパトロン、取材と描写方法、画師の交流関係、趣向、風刺、垣間見えるものの読み解き方を教えられ、その羅列が、絵が持つドラマから、その時代の厚みがどんどん立体化して行くのにこころを奪われた。
 絵が秘めるプロセスの情報が多ければ多い程、その絵の求心力は大きい。傑作とうなづかれる所以がそれなんだと思う。

 作者の定義付けによって得られるのは、跳ね上がる取引価格か。。。そう考えれば、工房作に棟梁絵師の落款が押されるのは、単なる認証印。と言い切るのは、落款ないのは棟梁が認めてないボツかってことになるのでそれも危険だけど。(笑)

図録に挟まってた。よくなくなんなかったな。ちょっと嬉しい。


 大作なのに、情報量が少ない事で物議をかもすものも、着想の技術は出色なるをはばからない。しかし、作者を決定づける史料に乏しく、類似する技法との比較で、技術を模倣したどこぞの誰かが描いた稚拙なもの。と作品ごと全面否定をしてるかの誤解を招きかねない評価のしかたもある。護符もガチガチには張られれば抗いたくもなるもの。
 若冲の枡目画3点には既にそれぞれの定評がつきつつある。「白象群獣図」は3印が捺された紙が貼られており、留まる事の無い表現の巧みさに首を縦に振らない人はほぼいないと思われる。静岡県美「樹花鳥獣図屏風」こちらも真筆もしくは下絵とプロデュースの「工房作」として落ち着きを見せている。
 オーナーが真筆とはばからない「鳥獣花木図屏風」、一部の「無関係」説とオーナーの「自信」を措いて、「工房作」でいいんじゃないかー?というものすごくゆるーいスタンス。もはや、海外にいってしまった遠い「ヒト」であって、オーナーの寵愛は間違いない。当面は目くじら立てて追っかけ回してもしょうがない存在。火種となるのを予感して辻先生はあえてプライス氏にこの屏風を引き合わせたのだろうか。笑。当時、国費で買い上げる力がなかったこの国から、得体の知れない外国人に引き渡され、一双が散逸する憂き目を避ける事が出来た。それを何度も帰国公開させ、自身も老体鞭打ち来日しては、日本の湿った空気に触れてなお、艶やかな姿を見せる屏風を堪能する。おかげでこちらもこの10年、何回もお目にかかる事ができている。
 確かに3作品はそれぞれが論議を尽くすに足る個性を持ち合わせている。幕末明治期の日本画家が模索した過程のように、それぞれが、一人の画家の試みのうちであったとしても遜色無いという理解はできないのだろうか。魂が筆を拠り所に表現している世界は否定しようがない。


2010年2月3日水曜日

welcome 鬼

鬼にも理解と信頼を

本日の発見

すごいものみつけた。



確かに、何の予備知識もなくお山へ入るのは危険。
法螺貝の吹き方も多分、ただ勢い良く吹けばいいって
言うもんじゃないと思う。
棕櫚葉をかたどった天狗の扇を求めて参道の土産物屋をさまよったり。
胸のボンボンを手作りしてたり。
手引書がなければ大小さまざまな誤解をもったまま獣道に迷うことになる。

それでも本当に山伏修行に出ようと決意したときに
入門本が有るか調べたりするのだろうか。
もっとPRが必要だとおもう。