2013年2月15日金曜日

起雲閣の隠された窟

知らない街で路線バスに乗るのは好きだ。
乗り降りや運賃の支払い方法がそこによって異なるのを確認すれば、あとは地元っこぶるだけ。
ぶっているので、乗り間違えたときは慌てず、適当な停留所まで行って、降りて(人知れず)帰ってくる。

熱海の路線バスは三社程が走ってるけど、すべて前扉乗降で整理券制。
後ろ扉は使わずに前扉から降りる人が終わると、乗る人がわらわらと入ってくる。
車掌さんの一元管理体制だ。なんでそうなったんだろか。
乗客は徹底的に、地元のご年配なので、どんなに混雑していてもステップの高い座席は空いている。

熱海駅から④番のバスに乗って、漸く起雲閣に到着できた。
受付のおねーさんも、外のスタッフの方々も皆、明るくて感じがいいのね。
好きですそういうところ。

本当に見事な作りの建物って、入った瞬間、最初の一歩で空気の移動や壁、床、柱の揺るぎなく重厚な様、母性的な包容力が体感される。そんな家だった。


二階への階段など、重厚すぎないステップや手すり、踊り場の空間は、なじみ深く懐かしい安心感。
写真をとってもそれがうまく映らないのであきらめる。
和室は旅館だった時期をあまり思わせない、上品なシンプルさ。
滞在している部屋がこんなだったら、本当に我が家の様にくつろげたろうな。



全面手漉きのガラスが残っており、眼下に広がる庭園と春を思わせる陽光を優しく見せます。

よく、割らずに残ってるな。。。
ウチはもうほとんど残っていない。


この最初の日本屋が初代のオーナーが立てた建物。
その後、隣に続く洋館作りの建物と、庭園を
次のオーナー、根津嘉一郎氏が作る。
それが今回の目的。



日本屋から続く廊下に玄関口が設えられ、
すぐ右手にモザイクタイルのサンルームがある。
日本屋の二階から見えていて、まさか仲間で入れるとは思っていなかったが、
自由に入れる。第一歩で声を上げたくなるような一室。



洋館と言うよりは東洋の美を日本人なりにいいとこ取りといったところ。

庭園といい、この建物といい、根津氏の美意識に澁澤以来のものを感じる。
良いものを見せていただきました。














このモザイクのサンルームの後ろにダイニングなのか、大テーブルの部屋がある。
徹底した美意識の集結。
お金持ちの、正しいお金の使い方だ。

どうも写真を撮り忘れた様だが、このほかにもう一室、暖炉のあるリビングがある。

暖炉の上には、あらあら、どっからもって来ちゃったのか、唐代頃であろう、如来三尊仏龕がはめ込まれている。
部屋の梁や柱のすべてに、横筋の鉈彫りの後を残し、要所に蓮華とパルメットの意匠を施している。



ああ、この建物って本当に洋館ではなくて、シルクロードなんだな、と思った。
それがこの方のこだわりなんだだな。と。




そして、シルクロードは、西域を超え、ローマにたどり着く。


やはりここも、すべての道はローマへと続いていた。。。。

この当時は温泉は出てなかったと思われるので、あまり暖かくないお風呂だったろうな。。。



その後のオーナーによって立てられた旅館棟などを通り抜け、館内は一周出来るようになっている。
いろいろ勉強になる、本来の日本の粋を見させていただきました。
最後に戻った日本屋の一階の部屋にある展示資料に、かつての東洋館(もうそう呼ぶ)の写真があり、確信。

建物の土台部分の石組みにほこらが作られており、中に仏像が置かれている。
やはり、彼がやりたかったことはこれだったのね。
と、ファーストインプレッションの美意識の共鳴に、個人的納得。うれしい。


今はその石窟(あえて)は蔓性の植物に覆われてしまっている。

でも、あった。
ツタをめくって確認してきた。
仏像は当然ありませんが、窟はあった。

ツタをはらって、窟を出すべきだ。。。









2013年2月14日木曜日

梛の葉との再会

快晴とまでは行かないが、陽気はよかった。

熱海駅前のバスターミナルは工事中で、起雲閣へのバスは「③番か④番へ」と言われ、
今発車しようという③番のバスに飛び乗った。
バスターミナルを出たバスが早々に目的地とは明後日の方向に向かっていくので、バスを乗り間違えたことに気がつき、
飛び乗った手前下ろしてくれともいえず、ままよ、、、、と
モバイルでバスの経路を検索してみた。

バスはぐんぐん、山を登っていく。。。。
停車順路に「伊豆山神社前」というのがあったので、
「そうか、ここに呼ばれたか。。。」と腹をくくり、顔を上げたら次の停車だった。
伊豆山神社については前日、熱海の観光情報を見ていたときに、
逆方向ゆえに又の機会に、、、と思ったとところだった。

参道の停留所で帰りのバスの時間が20分置きなのを確認し、鳥居をくぐると、景気の良いタクシーのおとーさんが、鳥居と階段をバックに写真を撮ってあげるからとがんがん話しかけてくる。
おとーさん、帰りにタクシー使う気はないのよ。。と言ってるのにまったく聞かない。



頼朝様の政子との逢瀬は三嶋大社ではなかったのか。。。
などとぶつぶつ言いながら上る上る。



立派なお社だった。
観光地から外れた場所だけど、マニアが来るのだろうか。
というか、平日だというのにひっきりなしに観光の人が上がってくる。
思いの外、流行っているんだな。
グッズも充実していた。

階段の途中に役小角が。
こわいよー。
怖いなと思いながらも2枚も撮ってしまった。

帰りに、タクシーのおとーさんに捕まるのか、、、と
断り方を考えながら降りていったら先の強引さは無く、
逆につい乗ってしまいそうになるが、源泉やら言われるままに連れ回されてたら今日の目的が果たせなくなるので、「良くしてもらって申し訳ないが」と、低調にお断りしバス停に向かった。
残念そうだったけど、さらっと引き下がってくれた。>悪かったな。。


バスの時間まで10分ほど、周りにあるガイド板や碑文を読んでいると、
先のタクシーのおとーさんがまたやってきて、

「これをあげるから。
せっかくきたんだから、御神木の葉、お守りになるから持って帰りなさい。良いことがあったら、報告しにまた、来てな」

と、見覚えのある青々とした葉を一枚手渡してくれた。

なんだか嬉しくて、余計に「わるいな、、」と思いつつ
おとーさんの後ろ姿を見送っていると、先にバス停に待っていたおかーさんが、鳥居の横の大木を指し、

「この梛は、私のお父さんのおじさんが、北海道へ行く時にここへ苗木を植えたの。
ここではいつまで経ってもうだつが上がらないと、当時、北海道へ開拓に行く人がたくさん居たの。
それで行く前に植えていったの。梛は南の木だけど、この木が最北の木なのよ。
おじさんは北海道へ行ったはいいけど、もう先超されちゃっておそかったから、
だめで帰って来ちゃったけど」

梛と言われて、見覚えがあった理由がすぐにわかった。
以前、熊野詣での絵解きを引き継がれている方に、お土産代わりにと分けていただいた葉だ。1/3位の小さいのだけど。

「ああ、熊野さんの、、、茶色くならない葉」とつぶやいたら
おかーさんが嬉しそうに「そうそう」と笑ってくれた。

熊野詣での絵解きは、勧進僧がこの梛の葉を持って勧進先を回り、
絵解きをして熊野詣でを庶民に伝え、その際に熊野のお守りとして1枚ずつ配っていたものだ。
梛の葉は、枝から離れても黄化することなく、いつまでも青々とした色でいると言われている。
私がその際に分けてもらった葉も、5年以上緑色を保っていた。
大切にしていたのに、ついこの間、どこかにしまい込んだのを忘れてしまい、とても残念に思っていたところだった。

バスに乗り込むと、タクシーのおとーさんが、
にこにこ手を振って送ってくれた。
やっぱり、熱海駅まで乗ってあげればよかったかな。。。

これだけたくさんの偶然やご縁が重なると、
本当に、ただのバス乗り間違え、とは思えなくなる不思議さがある。
スーパーナチュラルはあまり信じてないけど、
明日の八幡様でのお稽古の際は十分白旗神社にお礼をしてこなくては。。。

というか、やはり、はやく熊野にいかなくては。なのか。。。