2013年6月26日水曜日

生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて③


壁面大展示ケースへうつれば、「ああ、これは・・・」と感慨にはいる瀑布。

瀑布 1909年頃  絹本彩色  玉堂美術館所蔵

應挙の血脈を受けた、潔く直下する滝の流れが美しい。
しばしそこで、滝に打たれる。


紅白梅  1919年  紙本金地・彩色  玉堂美術館所蔵

MOA 光琳の紅白梅図屏風を踏まえた琳派調。
土はの表現が無いのを同じく、こちらは流水さえない。
それなのに、紅梅はふっくらかわいらしく、幹の小鳥のくすぐったい様な動きをする。
金屏風の中に生命感があふれているのを、してやったりの気分で眺めた。
近代日本画が玉堂の手で熟されたんだ。



50代後半から60代。そこにあるのは、これまでのものを消化し尽くし、玉堂の筆にした世界が完成している。もうここからはスピードを上げていくだけ。
日本の静かな自然とそこにある人の営み。小さく書き込まれた人物の生命力が足取りの描写に表れている。

湖村春晴  1935(昭和 10)年 絹本彩色
秋山帰樵  1935(昭和 10)年 絹本彩色
秋晴    1935(昭和 10)年頃 絹本彩色
冬嶺松秀  1936(昭和 11)年 絹本彩色
渡所春暁  1938(昭和 13)年頃 絹本彩色
烟雨  1941(昭和 16)年頃 絹本彩色 山種美術館所蔵


雪亭買魚  1938(昭和 13)年頃 絹本彩色
鵜飼    1939(昭和 14)年頃 絹本彩色
春風春水  1940(昭和 15)年 絹本彩色   以上、山種美術館所蔵



滝壺へ落ちていく目線のスピード感があおられる。
急斜面を駆け下りそうな松の勢いは永徳を思い出させる。

松間飛瀑 1942(昭和 17)年頃 絹本・彩色 山種美術館所蔵


残照    1952(昭和 27)年 絹本彩色 山種美術館所蔵
こういう西日、あるな。素直にノスタルジアだ。
友達と遊んでて17時になると町内で鳴らす『七つの子』を聞きながら、この夕日の色を背景に見ていた。「また明日学校だ。。。」


最後に胸を沸かせたのが、三越呉服店美術部の「現代諸家春掛展」の出品作品、
三幅の合作。松を大観が、竹を玉堂が、梅を栖鳳が。
な、なんて贅沢。



ここまでの集中力の果てに、目の前の三幅の存在は、神曲であれば最高のフィナーレ。
一緒に脱皮した気分だ。目頭が熱い。

松 横山 大観
竹 川合 玉堂
 梅 竹内 栖鳳  
1934(昭和 9)年 絹本彩色 山種美術館所蔵


後期入れ替えで待ちに待った小松内府に会える♪
重盛の心中が痛々しいほど見て取れる一枚。
この絵と、また濃厚な二人の時間を味わいたい。

小松内府図   1899年  絹本彩色  東京国立近代美術館 
後期展示:7/9~8/4


気がつけばくたくたの体に、山種美術館名物のオリジナル練り切りをいただく。
身にも心にも沁みる。。。
毎回の特別展に併せた限定のお菓子を楽しめるのが、粋なところ。
これも今回のご説明で、毎回いくつものボツ案を出されているくらいに力を入れてらっしゃるのを知り、山種美術館の美意識の高さに感動。かっこいいです。




私は《早乙女》を主題にした「さおとめ」をいただく。
ほんとにかわいらしくて美味しく楽しくいただきました。


次回の速水 御舟展では、是非、《炎舞》の妖艶な炎と”夜の蝶”での練り切りを楽しみにしております。

再興院展100年記念 速水御舟 ―日本美術院の精鋭たち
2013年8月10日(土)~10月14日(月・祝)






2013/06/22(土)
生誕140年記念 川合玉堂 ―日本のふるさと・日本のこころ―
2013年/06/08(土)~08/04(日)
山種美術館


                           fin

生誕140年記念 川合玉堂展 6/22ブロガー内覧会にて①
生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて②





生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて②


玉堂に引かれる理由はわかっている。
過去にハマった画師達の血脈がそれらの絵から慟哭のようにじわじわと放出されてくる。
應挙の優しさと力強さを併せ持った写実性、狩野派の伝統と芳崖、雅邦が立たされていた近代の混沌。日本画の歴史を学ぶ上で、出会いの度に新たな鑑賞の目を養ってくれた重要な画師達だ。
まーったく心地よいったらない。”確かに玉堂の筆なのに” だからだ。

展示はキャプションに制作年代と完成時の年齢が記載されているのが嬉しい。
単に画風の変遷ということではなくて、 画家が何をどう吸収して、作品としてアウトプットしたかが、なるほどドラマチックにこちらに入ってくる。

ウェルカムボード的に最初の一枚、
鵜飼 1895 絹本彩色   
展示場所がイマイチ落ち着かなくて、自分で見に行った時はゆっくり見られなかったが、今回はじっくりお一人様。
25歳が描き上げた大掛幅。この落ち着きはなんなんだ。

一つ目ののぞきケースに並べられた小品群
 写生画巻・写生帖 1888〜紙本彩色


画巻は15歳から始まっている。驕りのない丁寧な筆は洗練されてて、部分的な拙さも柔らかさに変わる。年を重ねるとともに的確な筆の運びが感じ取れるようになってくけど、がつがつ食い入るように書き込んでいる様子は無くて。人柄がでるのかな。

のぞきケースの一番奥に、仕事で台湾(だったかな)に居る娘婿へ宛てた手紙がある。


無事に孫が生まれたことを伝える手紙には、写真を送るべくも、当時現像には時間がかかった為、実際の愛らしさは伝えきれないが、取り急ぎ写生にて送る旨が。
日々成長し健康な様子、生まれたての我が子の様子を遠く離れる父親へつぶさに伝えたい気持ちがつづられている。温和で優しい人柄がよくわかる一点だった。

 こうやって、玉堂の人柄に惚れさせて、そうしてぐいぐいと展示は本題に入っていく。
真っ先に釘付けにされるは、この二枚だ。

 
渓山秋趣  1906(明治 39)年(33歳)  絹本彩色  山種美術館所蔵

既に雅邦門下で10年以上ということになる。
懐かしい人に会ったかのような気持ちにさせる、背後にそびえる山肌。
生き物のような木々。
それでも雅邦の筆を踏襲したものではなく、フレッシュな近代日本画がそこにある。

ああ、つまり、初恋の人の忘れ形見に町でばったりあってしまった、おばあちゃんの感覚だ。まいった。

 二日月  1907(明治 40)年(34歳) 絹本墨画淡彩  東京国立近代美術館

新月にほど近い二日月。
薄笑いの月と淡い視界。
本来、夕刻の上空の青と夕焼けの赤を輸入科学顔料を使用したが、じきに退色してしまったと作品解説にある。
それでも、明るさを持ち始める月と朦朧になりゆく湿り気を帯びた空気が、
風景の奥深くまで広がりをみせ、前景で水の流れを割る岩礁の力強い墨線が、この景色によりリアリティーを与えている。





ふぅ、既にここで鑑賞の為のエネルギーを40%位消費。


生誕140年記念 川合玉堂 ―日本のふるさと・日本のこころ―
2013年/06/08(土)~08/04(日)
山種美術館


生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて③
生誕140年記念 川合玉堂展 6/22ブロガー内覧会にて①






生誕140年記念 川合玉堂展 6/22ブロガー内覧会にて①

ただでさえ見やすい設備の美術館での内覧会で、玉堂を堪能とは、贅沢きわまりない。
まずは、企画者と主催者の見識の高さに合手礼。



数年前移転リニューアルしてから始めて山種美術館へ伺ったのは、つい10日ほど前。
この玉堂展が始まってすぐの平日。 美術館としてのクオリティーについてはあとからじわじわ感動したものだ。
作品に対する照明効果は妙技。絵の隅々まで這うように舐める様に堪能し、二人だけの濃密な時間を次々に過ごしました。
うーん、風景画なのにえろてぃっく。



最初の一枚はちょっと落ち着かない場所なので、あまり良い作品を掛けないでほしいのだが、2枚目ほぼ初っぱなから絵と二人だけの世界に、いとも簡単に入っていってしまった。
 
広いとは言えない展示室面積の割に、川合玉堂展のボリュームはかなりのものだった。
山種美術館所蔵だけで70点が惜しみなく出展されている。


 
地下の展示室に入っていくと、最初の印象は ”暗すぎない?”だったのだが、これがなんと鑑賞の集中にものすごい効果を。
しかも世の中のガラスってこんなに進歩していたのかと重ねて驚かされる。
反射の映り込みも最小限で、作品をナマで観ているような自然さ。壁面の大展示ケースなど、何度も爪先で軽くガラスの存在を確かめていた。
これ、単に掃除が上手いとかではないはずです。

ただ、今回、内覧会では少し照度が上げられていたかも。
肉眼では邪魔にはならないけど、写真をとると大分反射がはいっちゃった。
作品の写真を撮っていて、接写をしようとガラスに触れてしまうと、真横で待ち構えてる係のお姉さんが、撮影後にキュッキュッと掃除をされていた。
ごめんなさい。

参考まで、こんなサイトをみつけたのでメモ。
「こだわり」ってなんかやっぱり素敵だ。
e-THEORiA.com| ミュージアムレポート 








生誕140年記念 川合玉堂 ―日本のふるさと・日本のこころ―
2013年/06/08(土)~08/04(日)
 山種美術館

生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて②
生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて③