過去にハマった画師達の血脈がそれらの絵から慟哭のようにじわじわと放出されてくる。
應挙の優しさと力強さを併せ持った写実性、狩野派の伝統と芳崖、雅邦が立たされていた近代の混沌。日本画の歴史を学ぶ上で、出会いの度に新たな鑑賞の目を養ってくれた重要な画師達だ。
まーったく心地よいったらない。”確かに玉堂の筆なのに” だからだ。
展示はキャプションに制作年代と完成時の年齢が記載されているのが嬉しい。
単に画風の変遷ということではなくて、 画家が何をどう吸収して、作品としてアウトプットしたかが、なるほどドラマチックにこちらに入ってくる。
ウェルカムボード的に最初の一枚、
鵜飼 1895 絹本彩色
展示場所がイマイチ落ち着かなくて、自分で見に行った時はゆっくり見られなかったが、今回はじっくりお一人様。
25歳が描き上げた大掛幅。この落ち着きはなんなんだ。
一つ目ののぞきケースに並べられた小品群
写生画巻・写生帖 1888〜紙本彩色
画巻は15歳から始まっている。驕りのない丁寧な筆は洗練されてて、部分的な拙さも柔らかさに変わる。年を重ねるとともに的確な筆の運びが感じ取れるようになってくけど、がつがつ食い入るように書き込んでいる様子は無くて。人柄がでるのかな。
のぞきケースの一番奥に、仕事で台湾(だったかな)に居る娘婿へ宛てた手紙がある。
無事に孫が生まれたことを伝える手紙には、写真を送るべくも、当時現像には時間がかかった為、実際の愛らしさは伝えきれないが、取り急ぎ写生にて送る旨が。
日々成長し健康な様子、生まれたての我が子の様子を遠く離れる父親へつぶさに伝えたい気持ちがつづられている。温和で優しい人柄がよくわかる一点だった。
こうやって、玉堂の人柄に惚れさせて、そうしてぐいぐいと展示は本題に入っていく。
真っ先に釘付けにされるは、この二枚だ。
渓山秋趣 1906(明治 39)年(33歳) 絹本彩色 山種美術館所蔵
既に雅邦門下で10年以上ということになる。
懐かしい人に会ったかのような気持ちにさせる、背後にそびえる山肌。
生き物のような木々。
それでも雅邦の筆を踏襲したものではなく、フレッシュな近代日本画がそこにある。
ああ、つまり、初恋の人の忘れ形見に町でばったりあってしまった、おばあちゃんの感覚だ。まいった。
二日月 1907(明治 40)年(34歳) 絹本墨画淡彩 東京国立近代美術館
新月にほど近い二日月。
薄笑いの月と淡い視界。
本来、夕刻の上空の青と夕焼けの赤を輸入科学顔料を使用したが、じきに退色してしまったと作品解説にある。
それでも、明るさを持ち始める月と朦朧になりゆく湿り気を帯びた空気が、
風景の奥深くまで広がりをみせ、前景で水の流れを割る岩礁の力強い墨線が、この景色によりリアリティーを与えている。
ふぅ、既にここで鑑賞の為のエネルギーを40%位消費。
生誕140年記念 川合玉堂 ―日本のふるさと・日本のこころ―
2013年/06/08(土)~08/04(日)
山種美術館
生誕140年記念 川合玉堂展 ブロガー内覧会にて③
生誕140年記念 川合玉堂展 6/22ブロガー内覧会にて①