2013年7月8日月曜日

アンソロジー的・澁澤龍彦と野中ユリ氏についての覚え書き


野中ユリ展 -美しい本とともに-
2013/6/8(土)- 9/1(日)
神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
平成24年度、作家野中ユリ氏本人より、同館へ寄贈された作品および装丁本を含む120点の大規模な展覧会。

【野中ユリ】 1938年 東京生まれ 母:画家 野中曜子
銅版画、コラージュ、デカルコマニー、造形、挿画・装幀、舞台美術・デザイン

■この覚え書きについて
野中ユリ氏の作品の多くが発表された60年代〜80年代、当時の澁澤を中心としたサロンとも言える『北鎌倉』に屯する面々は、名を挙げれば、瀧口修造(美術家・画家)、巖谷國士(フランス文学)、加藤 郁乎(詩人)、加納光於(版画家)、土方巽(舞踏家)、池田満寿夫(芸術家)、富岡多恵子(詩人)、白石かずこ(詩人)と、今や錚々たるものだ。彼等の回顧に暫しつきあえば、必ずや名前が挙がる面子の中に野中ユリがいる。骸となった澁澤が北鎌倉の自宅に戻った際、それを向かえた中にやはり彼女の名がある。

■『純白のプラトニズム 野中ユリについて』
初出『現代作家論・野中ユリ——純白のプラトニズム』「美術手帖」1965年6月号
再録『澁澤龍彦集成』Ⅳ
  『澁澤龍彦全集』7
野中ユリ作品図版3点掲載

言及される野中氏の作品
「口の中の薔薇(1964)」
デカルコマニー(1964)青のシリーズ他、黒、紫のシリーズ
「白い目測」「燃える掟」

文末にの詩句を引用している。瀧口修造の野中ユリとの私家版詩画集『星は人の指ほどの——』つまり、野中ユリのために制作された画集のための書き下ろし。
愛すべきおんなの芸術家に心奪われるかの直接的な詩句は、他に代えがたい讃辞を呈する。

足跡がこんなに澄んでいるとき(この文節は引用無し)
おんなの詩人よ
あなたが生命のこちらから
粋を吹きかけている枯草のしたでわたしは耳を傾けていたい
火の波音に。
       「星は人の指ほどの—野中ユリに」瀧口修造


■『兄の力』野中ユリ(1988/4)
別冊幻想文学 澁澤龍彦スペシャル 
Ⅰシブサワ/クロニクル(1988/11)/表紙:野中ユリ

1959年 初個展「銅版画」(銀座 ひろし画廊)
瀧口修造(1903-1979)「銅版画展(タケミヤ画廊)」第3回(1957)、第5回(1989年)出品
1959年『サド復活 自由と反抗思想の先駆者』澁澤龍彦著・加納光於装幀 弘文堂
    印刷レイアウト、書名タイトル書き文字:野中曜子
1965年 デカルコマニーによる個展(ルミナ画廊)
    私家版詩画集『星は人の指ほどの—』瀧口修造詩 野中ユリ画 
    限定250部 12頁 個展案内状として制作
1980年9月 『野中ユリ画集 妖精たちの森』文:澁澤龍彦 講談社 63頁
     (1995年9月平凡社復刻/62頁)

1987年6月 「レダの会」土方巽主宰/種(台本)・矢川澄子/姿(舞踊)元藤燁子/飾(装置)野中ユリ

1966年 『狂王』渋澤龍彦 挿絵コラージュ:野中ユリ、装幀:佐々木桔梗、 プレス・ビブリオマーヌ
限定275部中、A版175部 インド産純白仔山羊革装・タイトル金箔押 越前産特漉き局紙(耳付・三方金装)狂王のラテン語訳「レックス・デメンス」透かし(B版100部:局紙装)帙付 保護函青布装 
稀覯書。澁澤の装幀へのこだわりをもとに、プレス・ビブリオマーヌ佐々木桔梗が装幀。A版は現在7〜8万円前後で神保町などで取引されている。おそらく全書、著者(青インク)と画家(鉛筆書)の書名入り。

1970年『澁澤龍彦集成』全7巻 B6版 函 装丁:野中ユリ、桃源社
    バックラム装 奥付エンブレムTasso.S.:図案起し加納光於
 第1巻 : 手帖シリーズ篇    第2巻 : サド文学関係篇
 第3巻 : エロティシズム研究篇 第4巻 : 美術評論篇
 第5巻 : 翻訳・創作・評伝篇  第6巻 : 翻訳篇
 第7巻 : 文明論・芸術論篇

1987〜88年『新編ビブリオテカ 』全10巻 白水社 B6判 函 装丁:野中ユリ
慈恵医大入院中に野中ユリと装丁打ち合わせを行っている。臙脂に金箔押アラベスク柄
 玩物草紙   ドラコニア綺譚集   唐草物語
 狐のだんぶくろ 解説:出口裕弘   偏愛的作家論  解説:野口武彦  
 幻想博物誌   解説:奥本大三郎  胡桃の中の世界 解説:中野美代子
 城と牢獄    解説:巖谷國士   魔法のランプ  解説:多田智満子
 思考の紋章学  解説:種村季弘

1980年9月『妖精たちの森』野中ユリ画集 文:澁澤龍彦 63頁 講談社
澁澤龍彦による新稿及び、旧著からの抄出及び加筆。
旧著抄出については、野中ユリ氏が澁澤の旧著より選出し、それらを澁澤自身が野中氏の掲載作品に併せて、部分抄出及び加筆した。
以下、『澁澤龍彦全集』17巻 河出書房新社(1994)巻末、巖谷國士による解題より。

・妖精について(書き下ろし) /作品名「妖精たちの森・Ⅰ、Ⅱ」 
・火の精サラマンドラ     /作品名「妖精たちの森・Ⅲ」 
  『幻想博物誌』所収「火鼠とサラマンドラ」の一部及、
  『記憶の遠近法』所収「サラマンドラよ、燃えよ」一部及び加筆
・土の精グノーム
  『幻想博物誌』所収「グノーム」
・水の精ウンディーネ     
  『幻想の肖像』所収 「キューレボルンがウンディーネを漁師のところへつれてくる  ハインリヒ・フュスリ」より抄出及び文尾へ加筆。
・風について(書き下ろし) /作品名「妖精たちの森・Ⅹ」
・植物のメタモルフォーシス /デカルコマニー 「青い花シリーズ」5点
  『澁澤龍彦集成』第Ⅶ巻所収「メタモルフォーシス考」
・絵のある石  /作品名「青い花」(部分)、「須弥山伝説」、「魚石伝説」2点は澁澤の著作に合わせた新作
  『胡桃の中の世界』所収「石の夢」抄出及、冒頭に加筆
・石の伝説  
  『胡桃の中の世界』所収「石の夢」抄出
・魚石 
  『胡桃の中の世界』所収「石の夢」抄出冒頭加筆 
・フローラ幻想  /作品名「ジオットの家Ⅲ・Ⅰ・Ⅱ」
  『ヨーロッパの乳房』所収「フローラ幻想」より抄出
・宇宙卵  /作品名「パルミジャニーノの部屋」「黄金の花」(夢の地表シリーズより)
  『胡桃の中の世界』所収「宇宙卵について」抄出及、引用加筆『リグ・ヴェーダ賛歌』辻直四郎訳(ヒラニア・ガルバ(黄金の胎児)の歌
 
 1995年9月 平凡社より復刊

■『天使について』
  『夢の宇宙誌 コスモグラフィア・ファンタスティカ』1964年6月 美術出版 A5版変形 所収「白夜評論」(現代思潮社[)1962年6月〜12月連載『エロティシズム断章』を元原稿とし加筆修正し構成。121点余りの図版を著者が選出し、キャプションを付けている。
  再録『澁澤龍彦集成Ⅳ』桃源社1970年8月

『天使について』は、12月号(ルネサンス・アラベスク)にて発表、加筆。
当初、野中ユリのコラージュ作品(1963)と併せた個別の出版を計画していたが、印刷技術が発色などの再現性に足らず、中断。

■オマージュ澁澤龍彦『澁澤さんのまなざしを乞うために』野中ユリ
 「澁澤龍彦をもとめて」1994年6月 美術出版社 『季刊みずゑ』1987年冬号 特集<追悼澁澤龍彦>へ巖谷國士エッセイを増稿。
 1979年作の未発表のコラージュ作品 連作『夢の地表—№6エメラルドの水門』を公開

■結び
澁澤は、野中ユリを純白の異形の天使になぞらえた。
あるいは憑子のごとく澁澤が求めるモノを”素直に”はき出してくれる才能を持った彼女を傍らに置き、また彼女自身もその身が次々に感応する、大きくうねる波や隆起してくる世界を思いがけず背を突かれるように引き出してくれる、マスター的存在地位を澁澤に託していたのではないだろうか。その関係が、澁澤が演じていたエロチシズムの世界から想起させるものでも、一向に差し支えないかもしれない。

かねてから私は、澁澤は鎌倉に殺されたと思っていた。1982年8月末に喉の不調を認識し、現存する大船中央病院へ行っている。それから1986年9月始め、慈恵医大病院で悪性の診断を受けるまで丸4年間、鎌倉市内の病院やクリニックでセカンドオピニオンと共に転々と治療を受けていた。にも関わらず、慢性の気管支炎だの、ポリープだの、挙げ句には小町のクリニックでポリープ摘出手術まで受けている。
死のにおいを嗅ぎつけるまで、鎌倉は澁澤をその結界の中に閉じ込めるように縛り付けていたのだと思う。

早生とまでは言えなくも、その死が惜しまれる作家、とその頂にある脳みそは、中途半端な時代に取り残された私たちの歪んだ厳格化を受け、別珍の玉座に少し大仰に足を組むゴブリンの王にさえなっている。

■参考
レオノール・フィニ(Leonor Fini 1907〜1996)画家 イタリア系アルゼンチン人
プレスビブリオマーヌ(1922~2007) 佐々木桔梗 
マックス・エルンスト(Max Ernst 1891〜197)シュルレアリスム画家・彫刻家 ドイツ人
モンス・デジデリオ(Monsù Desiderio)バロック期
  画家フランソワ・ド・ノメ(François de Nomé, 1593年 - 1620年以降)及ディディエ・バラ(Didier Barra)による共作品と考えられる。
ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(Gaius Plinius Secundus 23年〜79年)古代ローマ博物学者 『プリニウスの博物誌』Ⅰ〜Ⅲ 中野定雄他訳 雄山閣 1986(澁澤蔵書)